2011年04月30日

ヤマカンは萌えアニメだけやってればいいのに

ヤマカン監督のフラクタルの放映が終了してだいぶたつ。
ネット上の評判、そしてDVDの売上げを見るかぎり、このアニメが失敗に終わったということは、誰の目にもあきらかなようだ。

死体にむちを打つようなものかもしれないけれど、ここで僕も少しだけこのアニメについて書いておこうと思う。

フラクタルが失敗した理由というものは、いくつもあげられるのだろうけど、僕はたった一つのことを指摘しておきたい。

フラクタル失敗の最も大きな要因は、SF冒険活劇というジャンルを選んだことじゃないかというものだ。

このアニメのなかで主人公(なんという名前だったか忘れてしまった)が感情を揺さぶられるシーンを思い返してみよう。
視聴者の記憶に残っているのは、主人公が女の子の裸を見てどぎまぎしているシーンとか、そんなのばっかじゃないかと思う。

つまり、女の子のかわいさっていうところでしか、主人公の感情が動いていない。少なくとも、僕の記憶にはそれしか残っていない。

本来、SF冒険活劇をするのであれば、もっと他に、主人公の感情の揺らぎを表現しなければいけないはずだ。
たとえば、このアニメには対立する二つの組織が出てくるのだけれど、その二つの思想で主人公が思い悩むところがあっただろうか?
あったかもしれないが、まったく覚えてない。

フラクタルのなかで、ヤマカンが表現したいことっていったいなんだったのだろう?
ただ、かわいい女の子が描きたいということだけしか伝わってきてない。

かわいい女の子を描きたい。
それ自体は別に非難されるべきことじゃない。そりゃ、そんなものは大した表現ではないかもしれないだろうけど、くだらないと切って捨てるものじゃないだろう。

しかし、フラクタルはSF冒険活劇という、広いジャンルを選んでしまったことによって、『かわいい女の子を描きたい』という創作欲が、しょぼく見えてしまうという効果を持ってしまっている。
あ、その程度のものしか表現したいものがないんだ、と見ている側に見透かされてしまっているのだ。

魔法少女モノという、本来だったら、お約束ごとの制約だらけのジャンルを意図的に反転させることで、ストーリーを転がしていったまどかマギカの頭の良さと比較すると、一層、そのしょぼさが際立つ。

ヤマカンという人は、結局、かわいい女の子を演出することにしか才能がないのだ。
だったら、萌えアニメを作ってればいいじゃないか。
なにも、広い海にわざわざ泳ぎだして、自分の底の浅さを披露することもあるまい。

posted by YenGood at 10:43 | Comment(0) | 感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
人気記事
    タグクラウド
    ×

    この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。