2012年06月22日

青山 光二著「ヤクザの世界」の抜粋

ヤクザのケンカの原因をつきとめていくと、いちばん多いのが顔の問題である。喧嘩を買わなかったり、身内が顔をつぶされたのを、オトシマエ(解決)をつけないままですませたりすると、あとあと差しさわりがある。つまり、ヤクザモンとして生きていく上に支障をきたすという、稼業上の現実的な理由が、喧嘩の原因となるのである。

出入りをひかえて、特に訓練をすることもある。浅草の寺で、某親分の葬式があったとき、乗りこんでいって、宿敵をピストルで射ち殺したという事件があったが、この男は一月も前から射撃の練習をしていた。大森の海岸で、岸壁の上に卵をずらっとならべて、夜明け方に射撃の稽古をした。一月ちかく毎朝やった。そして、葬式の当日乗りこんでいって、ちゃんと狙った相手を殺している。こういうことになると、ヤクザは一生懸命やるようだ。
もっとも、ほんとにどうしても殺そうという場合には、ピストルよりも短刀がいちばん確実な武器になる。親分衆がよくいうことだが、どうしてもやってこいというときは、短刀を渡す。ピストルではダメだ。ピストルは証拠が残らないから、おどかすのにはいいが、殺そうというときには、短刀を持っていって、相手に抱きついてしまう。そこでえぐれば確実である。

(人を殺した後、居酒屋で酒を飲みながら警察を待っているときに)気がついてみると、こっちは血刀をぶらさげたまま。はなそうと思っても、刀がどうしても手から離れない。筋肉が硬直してしまっている。巡査に言って、刀を手からもぎとってもらって、やっとお縄をちょうだいしたという。

博徒は寺に、テキヤは神社に縁が深いというのは興味深い。賭博開帳の際、場所代の意味で胴元かの収益から差し引くかねをテラ銭というのはもちろん、昔の博徒が寺の一室を借りて開帳することが多く、謝礼として収益の一部をお寺に贈ったことからきているのである。

四分六の兄弟分というのは、親分乾分の関係とあまり変わらない場合が多い。七三にいたっては、さらにそうである。もちろん、正式の盃事をして、これで四分六の兄弟の盃がすんだということになるわけだが、四分六になったということになると、四分のほうの舎弟は、たとえば座布団に座っておっても、六分の兄貴がその座にきたら、座布団をおりなければならないというくらいの違いがある。なお、五分五分の盃事には盃を二つ使うが、四分六や七三の場合には一つの盃にみたした神酒を、兄貴分おほうが六分なら六分まで呑み、あとを相手にさげてやるのである。

四分六の盃いは、こういう場合がある。たとえば、Aという男がBという男に盃をさげてもらいたい、つまり、乾分になりたいという場合に、Aにすでに親分があったとすると、二人の親分を持つということはできないから、四分六の兄弟ということになるのだ。名前は兄弟分だけれども、こういう場合、実質は親分乾分みたいなもので、それぐらいの隔たりがある。


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posted by YenGood at 21:21 | Comment(0) | 裏社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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