2012年09月02日

剣道で胸を張る理由

(甲野 善紀「古武術からの発想」より)

甲野 明治維新後、それまでの日本の伝統的な武術を西欧化させる傾向は、柔道のみならず剣道にも見られたんです。

―――それはどういう点ですか?

甲野 いま剣道では、胸を張り背筋を伸ばした姿勢を『正しい姿勢』としていますけど、ああいう「気をつけ!」的な姿勢は、明治になって軍隊の訓練にドイツなんかの方法を導入してからだと思いますね。

それ以前の剣術の姿勢は、幕末や明治の初めのころの剣客の写真を見ても、江戸時代の伝書の絵を見ても、皆、胸を落としたものばかりで、胸を張ったものなどまったく見当たりませんから。

つまり、明治時代になって欧化主義の嵐にみまわれ武道のほうも、その根本的姿勢、スタイルをその時代に合わせるように改変したのでしょう。まあ、当時としてはそうせざるをえない社会的背景があったのだと思います。
なにしろ、維新直後は剣術の稽古をしているだけで、京都なんかでは反政府主義者と見られたといいますからね。ただ問題なのは、日本が日露戦争で勝ったあたりから、変に自信を持ち出して皇国日本の自意識過剰になり、明治の初期に改変した姿勢やトレーニング方法を、まるで昔から伝わってでもいるかのように言いふらしたことですね。

ただ、これと似たような傾向は古武道界などにもあり、大正や昭和に新しくつくった武道の新技法が、まるで江戸時代、あるいはもっと以前から脈々とひそかに伝わってきたような話をでっちあげてしまうこともけっこうありますからね。

たとえば、私が親しくさせていただいている古武道界の長老の名和弓雄先生は、私に、ある古流武道家を名乗る人が、「我流には他家を訪問して、いきなり斬りかかられたとき、咄嗟に自分の敷いていた座布団で敵刀を防ぎ、身を守る法が伝わっています」というような説明をして、その型まで演じられたときは笑い出しそうになるのをこらえるのが大変だったと話してくださったことがあります。

―――それは、なぜおかしいのですか?

甲野 昔、つまり刀を日常的に帯びていた江戸時代以前は庶民はもとより武士の家で座布団を使うという習慣はまったくなかったからです。
私は詳しくは知りませんが、座布団というのは、昔、遊郭で使われていたのが、明治以後、一般化したという話もあるようです。

とにかく、江戸時代ならあるはずのない座布団で敵の太刀を受けるというのは、武士の時代が終わってから誰かが考えついたものであることは明らかです。
ですから、その型が代々受け継がれてきたなんていうことはありえないわけですね。

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大山倍達が語る「強いとはどういうことか」


(夢枕獏「薀蓄好きのための格闘噺」より)

もう17年以上も前になると思う。
極真空手の創始者、大山倍達総裁にお会いしたことがある。

大山総裁はそれまでのノンコンタクトの空手から、フルコンタクトの空手を作り上げた人物である。伝統派空手の試合は、それまで実際に相手に拳や蹴りをあてないで行われていたのだが(沖縄では、今も、当てて試合をしている流派もある)大山氏が主催する極真会館の空手の試合は、実際に相手の身体に拳や蹴りをあてるルールを採用したのである。

漫画「空手バカ一代」のモデルとなった方であり、アニメにも映画にもなったので、ご存じの方も多いであろう。
すでに故人となられてしまったが、自らの体験から発せられる言葉は迫力があって、真実味があった。

ある雑誌で、毎回さまざまな流派の格闘家と会って対談をするという企画があって、その仕事でお会いしたことがあるのだが、大山総裁の話のおもしろさは特別だった。

「強いとはどういうことですか」

毎回、何人かの格闘家の方たちに同じ質問をしたのだが、一番シンプルで、しかもユニークであったのは大山総裁の答えであった。
質問は実のところ、かなり抽象的なものになっているところがミソ。
答えはなかなかむずかしい。正解のない問いであり、ともすれば「心である」と答えたくなってしまうところだ。

大山氏は、ぼくの目の前に両手を持ち上げて、二本の親指を突き出してみせた。

「あなたね、強いというのはね、この二本の親指で逆立ちができることなんですよ」

ころりとした、太い、丸みのある、どちらかと言えばやさしい親指であった。
もちろん、おっしゃる以上、大山氏はそれができるのである。
氏は若い頃、親指と人差し指の間に、立てた十円玉をはさんで、二つ折りにすることができたという。

「それができるとね、たとえばわたしは、この二本の指(親指と人差し指を見せて)で、あなたの鼻をもぐことができるのです。耳だって、ちぎることができます」

静かな声でおっしゃるのである。

「こんな人間とケンカしたがる人がいますか」

おりません。
半分は、対談相手であるぼくへのサービスとしても、強さと精神とを結び付けて考える答えが多いなかで、徹底した肉体論をもって答えを示した大山氏の言葉は、リアルにぼくの耳に今も残っているのである。


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2012年08月30日

走るときにももを高くあげるように指導するのは、まったくの間違い

(『身体から革命を起こす』より)

日本の陸上競技会は、奇妙な迷信に長らく覆われてきて、そのことに気付いてから、ようやく10年ほどにすぎないという。1991年に東京で世界陸上選手権大会が開催された際に、出場した世界のトップアスリートたちの走る様子が膨大なビデオに撮影され、その分析によって、ようやく日本人がずっと信じこんでいた「マック式」と呼ばれるスタイルが間違いであったと理解されるようになったのである。

「マック式」とは、腿を高くあげて前方にふりだし、地面を強く後ろへ蹴る、という走り方である。東京オリンピック後に招へいされたゲラルド・マックというコーチの説明が誤訳されて広まり、「正しい走り方」として教え込まれてきたものだった。後にマック氏自身が、日本での誤解の広まりを知って驚き、来日して訂正のために奔走したこともあったそうだが、それでも状況は変わらなかったという。

まさに迷信だったわけだが、その理論が間違いであることは、諸国の優れたアスリートたちが実際に走っている姿を分析することによって初めて明らかにされ、その後、理論的にも説明ができるようになった。

高橋佳三氏によれば、日本人と欧米人の陸上選手の走法の大きな違いは、足首の使い方にあるという。

「日本人は足が地面につくときも、足首やひざをいったん曲げてから伸ばして、地面を後ろへ蹴って走るんですが、欧米の選手は、足をついたときの足首やひざの角度のまま前に出ます。足首を曲げて伸ばす動きで出せる力なんてたいしたことないんで、固めておいて前に出したほうがずっといいんです。だから、足をあまり高くあげることもない。日本ではよくもも上げをやらせましたが、上げるより、下げるほうが大事だったんですね。足がついて身体を前に出す瞬間だけ、力が入ればいいわけです。その後は後ろに流れても無駄だから、すぐに引き上げます。だから、足首を固めて使うんです」

このように説明されてみれば、ももを高くあげることも、足で強く蹴ることも、早く走ることの役にはたたず、むしろ妨げになることは明白で、なぜ、そんなことが長年信じられていたのか不思議なくらいである。
だが、日本の陸上競技会の常識として、「マック式」は、選手たちの身体を縛り続けてきたのである。


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2012年08月18日

なぜ竹刀は刀より長いのか?

日本の剣術 (2)

一般に竹刀の長さは三尺八寸を定寸としている。現代人は体格がよくなったこともあり、一般に使用するのは三尺九寸であり、さらに長くなっている。
一方、刀であるが概ね刃渡り二尺三寸、あるいは三寸五分を定寸としている。これも現代人は体格がよいので一般に身長170センチであるなら二尺四寸くらいが適当とされている。

竹刀は全長で表記される。計算すると三尺八寸は約115センチメートル。対して刀は刃渡り二尺三寸として、ハバキ、柄の長さを足して換算すると約98センチメートルであり18センチも長さが違うことになる。この差はどこからきているのだろうか?

幕末、一般には竹刀の長さに決まりがなく、中には異様に長い竹刀を使う者もいたようである。柳川藩の大石進は五尺の竹刀を使った突きで江戸の道場を荒らしまわって有名だが、これに直心影流の男谷精一郎が三尺八寸の竹刀で勝ち、以来、彼が奉行を務めた講武所において三尺八寸を定寸と定め、これが現代剣道に受け継がれたと考えられる。

だが、有名な山岡鉄舟の無刀流のように三尺六寸とわざと短い竹刀を使用し、相手との間を詰め、自らの修行とした場合もあり、現在でも試合では規定の三九を使うが、稽古では三六にこれを詰めて使用している人もいる。だが、やはりそれは特殊な例であり、一般に竹刀の長さは真剣のそれよりも不自然に長い。決まりといってしまえば、それまでだが、このことはなぜそうなのかという納得のいく説明を受けられずにいた疑問の一つであった。

この疑問になるほどと答えてくれたのは明治、大正、昭和の剣道界をリードした剣聖中山博道であり、その著書「剣道手引草」のなかに解説されていた。

「剣道は防具を用いるので、竹刀を握る手には小手をはめている。小手をはめるとこぶしが大きくなり、拳と拳のあいだに距離を置くためには竹刀の柄は素手で握る刀より必然的に長くならざるをえない。そうすると柄だけ長くして刀身の部分が短いのではバランスが悪いので、柄が伸びた分刀身の部分も伸ばし、結果三尺八寸の竹刀が完成した」というのである。
まさに目からうろこの解説であろう。


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現代剣道で八相や脇構えをとらないのはなぜか?(日本の剣術2より)

日本の剣術 (2)より


剣道の教科書にはどれも決まって剣道の代表的な構えが載っている。すなわち、中段(正眼)、上段、下段、八相、脇構えがその代表的なものとして紹介されている。
だが、剣道を学ぶものは必ず疑問に思うことだと思うのだが、実際、面小手をつけて稽古または試合をする場合、ほとんどの構えは中段であり、ごくまれに上段を得意とする選手がいるくらいである。中段は攻防一体の構えとされ、宮本武蔵が「構えの大将」であると述べているくらい大事な構えであるので重要視されるのはもっともとして、他の構えがまったく使われないのはどうしてなのだろうか。剣道を学ぶものは、初めこれを不思議なことと思いながらも、次第にその世界の中に取り込まれてしまい、いつしかこれを不思議だと思わなくなってしまうようである。
私もいまだにこれを明確に説明してもらったことがないし、積極的にわかりやすい説明を受けたこともないのである。実際に稽古で八相や脇にでもかまえようものなら、ふざけていると思われ、瞬時に打ち込まれてしまう。一体、これらの構えは何なのか?
答えかどうかはわからないが、私が八相の構えや脇構えのメリットは何だろうかと考えたとき、ようやく気付いたことがある。
真剣を持って構えればわかるが道場の端から端、あるいは100メートルを構えて敵めがけて走ったとしよう。どのように構えて走るだろうか。上段や中段では走れないことはないが、不自然、不安定である。この場合は八相のように構えるのが自然であるし、そのまま打ち掛かるなら薩摩の剣術のように高い八相から行うのが自然だろう。距離とスピードによっては脇構えも有効と思われる。中段や上段ではバランスを欠いて転倒してしまう恐れがある。
だが、相手と我の切っ先が触れ合う一足一刀の間で攻めあうとしたならば、逆に中段、上段が有利であろう。八相の構えからは、中段相手では上段にあげるか、中段に合わせるか、あるいは一気に斬りかかるしかない。


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2012年06月23日

一瞬でのど元を掻っ切る、スロートスラッシュの方法、そして日本刀の切れ味とは?

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※刃物による刺殺、斬殺(「人殺し大百科」の抜粋)


 メッタ刺しが一時的な狂気のなせる攻撃とするならば正気の証といえる攻撃がある。

 スロートスラッシュ

 背後から忍び寄り口をふさぎ、喉を掻っ切る、というこの方法はミリタリー式斬首術もしくは暗殺術といわれ、ゆるぎない殺意はもちろん冷静さももとめられる。

 別れた妻にたいする私怨か、プロフェッショナルの手による暗殺かーーー世界的な関心を集めたOJシンプソンケースではこの方法で二人が殺された。

 ミリタリー式では、背後から忍び寄り、相手の口と鼻を塞いでから、まず腎臓あたりをナイフで一突きする(もしくは殴りつける)。腎臓を狙うのはここに神経が集中しており、猛烈な痛覚を生み出すからだ。そのまま体勢がくずれたところを左耳下から右耳下にナイフを走らす、といったパターンがとられる。攻撃者が右利きならば、犠牲者の首の左側から右側に刃物が流れる。傷は最初に浅く、次に深くなり最後で再び浅くなるのが特徴だ。

 動物は獲物を仕留める際、誰に教わったわけでもないのに、首に噛み付き相手をねじ伏せてからトドメをさす。狩りの仕方は親より習うのだろうが文字や口伝といった手段を持たない動物達あ教わるまでもなく本能的に知っているのだ。首は急所であるということを。

 首は急所であるーーーこれは刃物攻撃にもあてはまる。皮膚の下に青く浮き上がって見えるのは頸動脈。さらに深いところ、筋肉の下骨に近い部分に位置するのが頸動脈だ。首に指を当てるとパルスを感じるだろう。頸動脈が脳や顔に血液を送っている証拠だ。

 頸動脈は顔や脳に酸素を豊富に含んだ新鮮な血を運ぶ血管で、これが断たれれば脳細胞は死滅する。刺す、切るに限らず一度出血すれば止血は不可能で、心臓に近いところから血の噴出量も多く、1分もかからずに意識を失いそのまま死亡する。


 刃物攻撃に対してはさまざまな思い込みがある。

 たとえば、一般には銃で打たれるよりも刃物で攻撃されたほうが傷の程度は軽いと見られている。しかし、現実はこの逆というケースが少なからずある。
FBIの統計によれば、ある条件下では銃撃後に死亡する確率は10%、刃物では30%になるという。


※日本刀って、どんだけ切れるのか?


 日本刀は自重が1kg近いために形成された傷は切創ではなく斧などによってできる創傷、割創のカテゴリーに分類される。叩き潰すではなく叩き切るーーこの効果は斧の破壊力に日本刀の切れ味をプラスしてはじめて得られるものなのだ。

 日本刀が使われた刃傷沙汰では切断寸前の割創とほぼ貫通に近い割創、そして完全切断が見られる。出血の程度は深いところまで斬られるために噴血状態となり、血液だけでなくリンパ液、その他の体液があたりにまきちらされる。

 その場で一命をとりとめても傷が深いために動脈系の損傷が酷く、止血はほぼ不可能。数時間後にはかならず死ぬ。
 療養所にかつぎこまれた犠牲者が2、3日高熱でうなされてから回復するのは時代劇ではおなじみだが、これは奇跡に近い。
 日本刀による刃傷沙汰の特徴の一つは手指の切断だ。自分も刀を構えているので振り回された刀身を拳でうけとめてしまうというパターンが多く現場には手指が散乱する。


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2012年06月22日

「人殺し大百科」の抜粋

・人を殺すということ

人殺しを研究対象にした殺人学(killology)の提唱者デビッド・グロスマン元中佐はこう言う。

・人間は本質的に人を殺すことができない。
・殺人シュミレーションの反復で人殺しを育成することができる。


たとえば、南北戦争で最大の激戦地となった<ゲッティスバーグの戦い>ではほとんどの兵士が発砲せず、銃を打つジェスチャーをしただけであったという。
(中略)
発砲率が低かったとはいえ、北軍、南軍あわせて26万人もの戦死者を数えたのは事実で、中佐の説が真実であれば犠牲者の多くは砲撃によるものと推測できる。
同じような銃撃ジェスチャーはナポレオン戦争や他の南北戦争激戦区でも見られ、中佐は新しいデータとしてFBIがまとめた1950年代、1960年代の警察官の低い発砲率なども引き合いにしている。
同じような結果は近代戦争でもみられた。第二次世界大戦中、敵兵に向かって発砲した兵士は全体の15%〜20%だったという。特殊な兵器、たとえば火炎放射器や車両搭載型マシンガンは常に発射されていることが多く、発砲回数は上官の「撃て」の号令で格段に増えた。ところが、銃の出番がなくなると大部分の兵士は銃を敵に向けようとしない。つまり、できれば人を殺したくなかったのだ。
敵と接近すればするほど銃が撃てなくなるという心理は容易に理解できる。10km先の目標にむかってミサイルを打ち込む、2マイルの距離から敵の陣地に迫撃砲を発射する、1km先からスナイパーライフルで狙撃する------これはOKだ(ビデオゲームを見ているような錯覚を覚えた湾岸戦争はニンテンドーウォーと評された)。それでは50m先の敵に向かってライフルを打つ---このあたりから抵抗を感じるようになる。さらに近づいて10mぐらいから、もしくは至近距離からピストルで撃つ、銃剣で突き刺す---このあたりになるとほぼ全員が抵抗を感じるはずだ。
大佐の持論は、人間も他の動物と同じく基本的に同類を殺すことはありえないというもので、これを抵抗感の正体と位置づけている。野生の世界では縄張り争いや繁殖期のメスの奪い合いで雄同士が激しい戦いを繰り広げる。角をぶつけるといった頭突き攻撃が多く、喉を噛み切るといった致死的な攻撃はない。爬虫類や魚類の世界でも同じだ。ガラガラヘビやピラニアは互いに絡み合い、組み伏せたり、尾ひれを激しく打ち付ける程度でそれ以上のことはしない。動物には本能的に種の断絶を防ぐメカニズムが働いているのだ。

湾岸戦争ではほぼ全員の兵士、およそ90%近くが<敵を殺す>という明確な殺意をもって発砲した。第二次世界大戦終戦後、400近くの歩兵連隊を調査したところ敵に向かって発砲した兵士は15〜20%しかいなかかった。この調査結果に戸惑ったペンタゴンは教練の方法を一から見直すことになった。これまでは黒丸だったターゲットを人型にし、さらに固定式から移動式にした。実践に近づけるために射撃訓練の最中、教官は兵士の頭上めがけてサブマシンガンをぶっぱなした。こうして鍛えあげられた結果発砲率は湾岸戦争で90%までにあがった。

社会は必然的に闘争本能がはぐくみにくい環境になっている。しかし鳥のように空を飛べない生物は本質的に同類を殺せないようにプログラムされている。このリミッターをどうすれば外すことができるのか。
古来、人間は闘争本能を駆り立てる方法を探していた。兵士教育ではこのリミッターをいかに早く振り切るかが課題になっている。
リミッターを外すためのメンタル教育はこうして行われる。

・機械的な反復
・敵を非人間化させる
・殺人の責任を団体(愛国心・忠誠心)のなかで希釈化させる
・自責や後悔を上官命令にすりかえる

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