2012年09月02日

剣道で胸を張る理由

(甲野 善紀「古武術からの発想」より)

甲野 明治維新後、それまでの日本の伝統的な武術を西欧化させる傾向は、柔道のみならず剣道にも見られたんです。

―――それはどういう点ですか?

甲野 いま剣道では、胸を張り背筋を伸ばした姿勢を『正しい姿勢』としていますけど、ああいう「気をつけ!」的な姿勢は、明治になって軍隊の訓練にドイツなんかの方法を導入してからだと思いますね。

それ以前の剣術の姿勢は、幕末や明治の初めのころの剣客の写真を見ても、江戸時代の伝書の絵を見ても、皆、胸を落としたものばかりで、胸を張ったものなどまったく見当たりませんから。

つまり、明治時代になって欧化主義の嵐にみまわれ武道のほうも、その根本的姿勢、スタイルをその時代に合わせるように改変したのでしょう。まあ、当時としてはそうせざるをえない社会的背景があったのだと思います。
なにしろ、維新直後は剣術の稽古をしているだけで、京都なんかでは反政府主義者と見られたといいますからね。ただ問題なのは、日本が日露戦争で勝ったあたりから、変に自信を持ち出して皇国日本の自意識過剰になり、明治の初期に改変した姿勢やトレーニング方法を、まるで昔から伝わってでもいるかのように言いふらしたことですね。

ただ、これと似たような傾向は古武道界などにもあり、大正や昭和に新しくつくった武道の新技法が、まるで江戸時代、あるいはもっと以前から脈々とひそかに伝わってきたような話をでっちあげてしまうこともけっこうありますからね。

たとえば、私が親しくさせていただいている古武道界の長老の名和弓雄先生は、私に、ある古流武道家を名乗る人が、「我流には他家を訪問して、いきなり斬りかかられたとき、咄嗟に自分の敷いていた座布団で敵刀を防ぎ、身を守る法が伝わっています」というような説明をして、その型まで演じられたときは笑い出しそうになるのをこらえるのが大変だったと話してくださったことがあります。

―――それは、なぜおかしいのですか?

甲野 昔、つまり刀を日常的に帯びていた江戸時代以前は庶民はもとより武士の家で座布団を使うという習慣はまったくなかったからです。
私は詳しくは知りませんが、座布団というのは、昔、遊郭で使われていたのが、明治以後、一般化したという話もあるようです。

とにかく、江戸時代ならあるはずのない座布団で敵の太刀を受けるというのは、武士の時代が終わってから誰かが考えついたものであることは明らかです。
ですから、その型が代々受け継がれてきたなんていうことはありえないわけですね。

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posted by YenGood at 17:25 | Comment(0) | 武道、格闘技 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

PCゲームの輸入盤が安すぎる

最近、デッドラジング2を購入したんだけど、このPC版の値段が1800円。

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デッドライジング2は、輸入盤だけど、ちゃんと日本語字幕が出ていたので、なんの問題もなかった。
ただ、最初にマイクロソフトに登録しなくちゃいけなくて、それがかなり面倒だったけど。
登録しないと、セーブができないらしいのだ。
あれは、なんとかならないもんなんだろうか。

バイオハザード5とかも、だいたい同じくらいの値段で売っているので、今度はそっちをやってみようかと思案中。

グランドセフトオート4の輸入盤は1580円。

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グラセフ4の日本語版だと5400円くらいなのに、この値段差はいったいなんなんだろう?
どういう仕組みで、こんな値段差がついているのか、謎。
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posted by YenGood at 14:39 | Comment(0) | ゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大山倍達が語る「強いとはどういうことか」


(夢枕獏「薀蓄好きのための格闘噺」より)

もう17年以上も前になると思う。
極真空手の創始者、大山倍達総裁にお会いしたことがある。

大山総裁はそれまでのノンコンタクトの空手から、フルコンタクトの空手を作り上げた人物である。伝統派空手の試合は、それまで実際に相手に拳や蹴りをあてないで行われていたのだが(沖縄では、今も、当てて試合をしている流派もある)大山氏が主催する極真会館の空手の試合は、実際に相手の身体に拳や蹴りをあてるルールを採用したのである。

漫画「空手バカ一代」のモデルとなった方であり、アニメにも映画にもなったので、ご存じの方も多いであろう。
すでに故人となられてしまったが、自らの体験から発せられる言葉は迫力があって、真実味があった。

ある雑誌で、毎回さまざまな流派の格闘家と会って対談をするという企画があって、その仕事でお会いしたことがあるのだが、大山総裁の話のおもしろさは特別だった。

「強いとはどういうことですか」

毎回、何人かの格闘家の方たちに同じ質問をしたのだが、一番シンプルで、しかもユニークであったのは大山総裁の答えであった。
質問は実のところ、かなり抽象的なものになっているところがミソ。
答えはなかなかむずかしい。正解のない問いであり、ともすれば「心である」と答えたくなってしまうところだ。

大山氏は、ぼくの目の前に両手を持ち上げて、二本の親指を突き出してみせた。

「あなたね、強いというのはね、この二本の親指で逆立ちができることなんですよ」

ころりとした、太い、丸みのある、どちらかと言えばやさしい親指であった。
もちろん、おっしゃる以上、大山氏はそれができるのである。
氏は若い頃、親指と人差し指の間に、立てた十円玉をはさんで、二つ折りにすることができたという。

「それができるとね、たとえばわたしは、この二本の指(親指と人差し指を見せて)で、あなたの鼻をもぐことができるのです。耳だって、ちぎることができます」

静かな声でおっしゃるのである。

「こんな人間とケンカしたがる人がいますか」

おりません。
半分は、対談相手であるぼくへのサービスとしても、強さと精神とを結び付けて考える答えが多いなかで、徹底した肉体論をもって答えを示した大山氏の言葉は、リアルにぼくの耳に今も残っているのである。


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2012年08月30日

走るときにももを高くあげるように指導するのは、まったくの間違い

(『身体から革命を起こす』より)

日本の陸上競技会は、奇妙な迷信に長らく覆われてきて、そのことに気付いてから、ようやく10年ほどにすぎないという。1991年に東京で世界陸上選手権大会が開催された際に、出場した世界のトップアスリートたちの走る様子が膨大なビデオに撮影され、その分析によって、ようやく日本人がずっと信じこんでいた「マック式」と呼ばれるスタイルが間違いであったと理解されるようになったのである。

「マック式」とは、腿を高くあげて前方にふりだし、地面を強く後ろへ蹴る、という走り方である。東京オリンピック後に招へいされたゲラルド・マックというコーチの説明が誤訳されて広まり、「正しい走り方」として教え込まれてきたものだった。後にマック氏自身が、日本での誤解の広まりを知って驚き、来日して訂正のために奔走したこともあったそうだが、それでも状況は変わらなかったという。

まさに迷信だったわけだが、その理論が間違いであることは、諸国の優れたアスリートたちが実際に走っている姿を分析することによって初めて明らかにされ、その後、理論的にも説明ができるようになった。

高橋佳三氏によれば、日本人と欧米人の陸上選手の走法の大きな違いは、足首の使い方にあるという。

「日本人は足が地面につくときも、足首やひざをいったん曲げてから伸ばして、地面を後ろへ蹴って走るんですが、欧米の選手は、足をついたときの足首やひざの角度のまま前に出ます。足首を曲げて伸ばす動きで出せる力なんてたいしたことないんで、固めておいて前に出したほうがずっといいんです。だから、足をあまり高くあげることもない。日本ではよくもも上げをやらせましたが、上げるより、下げるほうが大事だったんですね。足がついて身体を前に出す瞬間だけ、力が入ればいいわけです。その後は後ろに流れても無駄だから、すぐに引き上げます。だから、足首を固めて使うんです」

このように説明されてみれば、ももを高くあげることも、足で強く蹴ることも、早く走ることの役にはたたず、むしろ妨げになることは明白で、なぜ、そんなことが長年信じられていたのか不思議なくらいである。
だが、日本の陸上競技会の常識として、「マック式」は、選手たちの身体を縛り続けてきたのである。


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2012年08月29日

イタリアンマフィアとは?



ゴッドファーザーなどの映画でイタリアンマフィアに興味を持った人は多いのではないでしょうか。


(シルヴィオ ピエルサンティ「イタリア・マフィア」より)


・なぜ、ミラノのような大都市ではなく、シチリアのような田舎でマフィアが発達したのか。

それには、シチリアを支配した外国勢力の態度が大きくかかわっている。
フェニキア人、ギリシャ人、ビザンチン王国、アラブ、ノルマン、ドイツのシュタウフェン王朝、フランスのアンジェ王朝、スペインのブルボン王朝など、彼らの目的は個人的な富だけで、シチリア経済の発展や社会の安定などには眼もくれなかった。
その結果、シチリアでは人心の荒廃が進んだ。このような社会情勢を土壌としてマフィアは発達していくことになる。

・マフィアに求められる性格

マフィアになるためには、男らしい性格でなければならない。男らしいとはなにか?一言で言えば、凶暴ということだ。
もちろん、ホモセクシャルなどは論外。他の異常性癖者もマフィアには厳禁である。
イタリア・マフィアは売春と賭け事をビジネスとして行うことはない。この二つは名誉ある男のする仕事ではないとみなされているからだ。
マフィアの主要な資金源は麻薬である。



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フランク・シナトラが受けた屈辱





(シルヴィオ ピエルサンティ「イタリア・マフィア」より)


・フランク・シナトラが受けた屈辱

1960年代、アメリカのコーザノストラは新たな大使として、フランク・シナトラを大使としてシチリアに送った。
シチリアで次期の大ボスとして有力視されていた、ジェンコ・ルッソに会うためだ。
シナトラは気がすすまなかった。
しかし、シナトラとしても、その命令に背くことはありえない。マフィアの後ろ盾なしに、シナトラの歌手としての成功はありえなかったのだから。
シチリアに着いたシナトラに対し、ジェンコ・ルッソは最大の屈辱を与えた。

フランク・シナトラの泊まるホテルへ車が到着し、シナトラをドン・ジェンコの屋敷へ案内した。シナトラはボディガードを一人もつけなかったが、それはドン・ジェンコの敷地内にいる限り、、自分の身柄は安全だとドン・ジェンコに示すためだった。

シナトラは彼に弱みを見せたくなかった。田園の巨大な家の中庭に降りていく。その家は特別に豪華とも言えなかった。ボスはブドウ畑を訪れているので、待っているように言われた。1時間後、遅れたことには一言もなく、大きな広間に案内された。中央の大テーブルには、豪華な食事が用意され、12人の男たちが腰かけていた。ドン・ジェンコは当然のごとく主賓席に座る。他の男たちはまるでボスのクローンのように見えた。皆真っ白のワイシャツとサスペンダー、ノーネクタイ、毛深い胸板を誇示し、十分に手入れをした黒ひげをはやし、コッポラ(ベレー帽)をななめにかぶっていた。



皿にはまだなにものっていなかったが、皆すでに赤ワインを飲んでいた。ボスは大きなスープ入れを三つ持ってこさせる。一つはヒヨコ豆とパスタのスープ、シチリアの名物料理である。実にカロリーの高い料理だ。しかしマフィアは健康のことは考慮しない。コレステロール値が高いことより以前に別の理由で死ぬことが多いからだ。どんなときでもどんな場所でも起こりうることである。生きている間はできる限り人生の喜びを味わっておこうと考える。

次の日も、その次の日も、シナトラは健康診断の結果を気にする余裕もなく席につかされた。ドン・ジェンコから最も遠い席だった。空の皿に、銀の杓で料理が盛られる。決まって最後がシナトラである。マフィアの伝統的なしきたりなのだ。ゲートインした競走馬がレースのスタート合図を待たされている時のように、ボスが食べ始めるのをみんなが待つ。ボスが一口目を口に入れると同時に全員が同じように食事を始める。何分かは食べる音だけが聞こえ、誰も話をしない。

美味だったことを示す儀式として、お皿に残ったソースをパンですくって食べる。これもボスが始めると同時に全員が真似をする。

自家製の大きなパンを左手で胸の前に持ち、右手でズボンの右ポケットから自分のジャックナイフをだし、一切れを胸の方向に切り落とす。次に左側の人にパンをまわす。その人もナイフをポケットから出してパンを切る。パンがシナトラにまわってきた。シナトラは赤面して、パンをどうしたらよいかわからずにいた。彼はふだんナイフなど持ち歩いていなかったのだ。全員が信じられないという様子でシナトラを見た。『名誉ある男』がジャックナイフひとつ持っていないなんて、ロビンフッドが弓を持っていないか、三銃士が槍を持っていないかという事態だ。目をつむれないことである。「うんざりするやつだ」と年配の男が若者に冷たく教える。

ドン・ジェンコが給仕に「ドン・フランチェスコにナイフを」と命令する。『ドン』(尊敬の意)をつけてナイフを持たない男を皮肉った。これは最高の冷やかしである。嵐のような笑いをさそった。

会話は、最近の殺人罪のことや、政治家の友人の手助けで行った違法な入札についてだった。
ボスは上機嫌のように見えた。フランク・シナトラは屈辱を受け、仲間外れにされていた。ボスは彼に一言もかけず、食事が終わるまで完全に無視した。最後にテーブルから立ち上がったボスは、突然厳しい口調でシナトラに「それで?」と尋ねた。ジョン・ケネディ大統領の個人的な友人で、ハリウッドスターのシナトラ。何百万人ものファンを抱え、世界中の美しい女性が彼の足もとにひざまずき、アメリカのコーザノストラの大ボスから大使として送られてきた男、高圧的で喧嘩好きの男が、一言も答えられなかった。

ボスの質問は一言だったが、多くの意味合いが含まれていた。
「それで、誰がボスだかわかったか?それで、本当の『名誉ある男』がどんなものかわかったか?それで、自分たちがビジネスの仲介にきた男をどのように扱うかわかったか?それで、ここではアメリカの監視は必要ないことがわかったか?もし来たかったら来てもかまわないが、指揮をとるのは俺たちだ。それについて異存はないな?」

実に明白だ。シナトラは同意しうなだれる以外にはなかった。ボスの車でホテルに送られたシナトラは、ボディガードにすぐに旅支度を整えるように命令し、彼のプライベートジェットでニューヨークへ向かった。無事でよかったと思いながら。あのとき、生きてドン・ジェンコの家から出られないのでは、と本気で思ったのだ。

ヤクザへの対処法


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2012年08月26日

麻薬を愛した文学者たち

(中島らも「獏の食べのこし」より)


この世には「中毒もの」なるジャンルが明らかに存在する。あるいは薬物による影響が認められる作品をくり入れていけば、これはかなりあなどれない一体系を形成するにちがいない。

ボードレールの詩篇には、「ハシシュ」なる一編があるのを見てもわかるように大麻系のアルカロイドの影響が見られる。極論を唱える人にいたっては、ボードレールの詩学の根幹をなす万物照応(コレスポンダンス)の論理はハシッシュによって研ぎ澄まされた諸感覚のもたらしたものだと主張して譲らない。ボードレールはまた阿片チンキの常習者でもあった。

ドイルの創り出したシャーロック・ホームズは堂々たるコカイン中毒者である。推理という作業にはなるほど精神昂揚作用のある薬物はおあつらえむきにはちがいない。ドイル自身の電気を読んだことがないので推測だが、おそらく作者本人も精妙なストーリーテリングを維持するためにはコカインの力にあずかるところが多かったのではないだろうか。

阿片系の薬物、モルヒネ、ヘロインなどに溺れるのは昔は文士の一つの典型的スタイルのようなものだった。ジャン・コクトーには「阿片」という、そのものずばりの詩集がある。フランスの大詩人で「手紙」という戦時中の名作で知られるアンリ・ミショーはライフワークとして「みじめな奇蹟」などの、薬物による精神状態の記述を何冊も残している。これを詩篇と勘違いして買ってしまうと、興味のない人には二、三頁も読めないだろう。実にトリビアルでねっちりとした記録である。

オルダス・ハクスレーの「知覚の扉」もこの手の本としては名高い。恐怖小説の古典である「ねじの回転」の作者、ヘンリー・ジェイムスの父親は「笑気ガス」による幻覚の記述を残している。変わったところでは「仮面の孔」なる奇作を書いたジャン・ロランはエーテル(シンナー)愛好者で、その幻覚をもとにこの作品を書いている。

ヘルマン・ヘッセも大麻の愛好家で、「荒野のおおかみ」に出てくる、宿のランタンが闇夜のむこうで水晶のように輝く幻想的なシーンは非常に大麻幻覚的な描写であるといわれる。その他、サルトルのメスカリン体験の手記やアントナン・アルトーの阿片編、稲垣足穂のアルコール中毒による「鬼」の幻覚の記述など、いずれも面白い。

日本では麻薬の規制がたいへんに厳重なので、さすがにヘロイン文学などはあまり見ないかわりに睡眠薬中毒、ヒロポン中毒の作家は枚挙にいとまがない。芥川龍之介の短編、「歯車」のシーンはまさに睡眠薬中毒の幻覚そのものだし、同薬の中毒者としては太宰治や川端康成が有名だ。

(中略)

亡くなった澁澤龍彦氏の小文の中に次のような記述を見つけて深くうなずいた覚えがある。つまり、LSDによろうが、何十年という荒行の結果であろうが悟りの境地というのは同じものであって、辿り着く道順がちがうだけの話だ、
という、主旨である。同感だ。

それともうひとつ、僕がこれらの中毒ものにひかれるのは、その魂の欠落のありようをはっきりと手でなぞることができるからである。男が半身である女を求める、女が球の半分である男を求める、それと同じように中毒者たちはその欠落部を注射器による幻覚で埋め尽くそうとする。そして、そこにはちょうどデスマスクのように、白い粉でできた哀しい鋳型がひとつできあがる。たぶん、そういった冷え冷えとした哀しみに僕は中毒しているのだろう。

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2012年08月24日

「日帝三十六年で初めて国の独立が失われた」という嘘

黄文雄「捏造された近現代史」より


ある北朝鮮系の老学者と朝鮮史んいついて議論したことがあるが、彼は例によってまた「韓国(朝鮮)」が有史以降初めて独立を失ったのは日帝時代で、その前は「独立国家だった」という持論を持ち出して譲らなかった。

「では統一新羅以来の歴代王朝が宗主国である中華帝国へ隷属していた事実はどうなんだ」と切り出したら、「あれ(中国)とこれ(日本)とはまったく違う。やはり、ずっと主権国家だった」とむきになって反論してきたので、周りにいた一同が笑った。

天朝の勅使が来朝するたびに、朝鮮国王は城外まで出迎え、慕夏館で太子が酌の礼をするというのが慣例だったが、それは単なる外賓・国賓への厚礼だったのだろうか。反対に朝鮮の朝貢使節は、北京では諸侯の礼さえ得られず、粗末な待遇を受け、百官と同じ宿に宿泊させられていた。
朝鮮歴代王朝は、半島内のすべての出来事をいちいち詳細に書き出し、倭情(日本情勢)まで中華帝国の朝廷に報告する義務を負っていたが、これが属国でなくてなんであろう。
半島の国王が皇帝の逆鱗にふれると厳しく処罰され、貨幣鋳造権まで停止させられた。さらに、半島の反乱平定のおりには、北京朝廷から金銀まで下賜された。

また、清の朝廷から軍隊召集や勅使に対する賄賂禁止の詔書をくだされていた。このような独立国家があっただろうか。


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清から朝鮮国王が受けた屈辱の詳細

井沢元彦「逆説の日本史(11)戦国乱世編 朝鮮出兵と秀吉の謎 」より


秀吉の「唐入り(朝鮮出兵)」を、韓国では「壬辰倭乱」と呼んでいることは御承知だと思う。壬辰は干支だが、「倭」は日本人に対する蔑称である。あの元のフビライですら「日本征伐」とは言ったが、日本のことを「倭」とは呼ばなかった。しかし、まあ侵略された側なのだから、それは聞き流すことにしても、聞き捨てならないのは「乱」である。「乱」というのは反乱であり、謀叛の意味もある。つまり、この言葉を使う以上、使った人間は自分のほうが「上位」だと思い込んでいるということだ。

理由はもちろん中華思想である。

李氏朝鮮は後に「小中華の国」と呼ばれる。つまり、あくまで「親分」は中国だが、日本よりは「上位」だという意味だ。だから、これも一種の「差別」なのである。

では、日本よりも「上位」の実態はどういうものか?

壬辰倭乱(1592〜1598)の29年後の1627年、韓国で「丁卯胡乱」と呼んでいる戦いが起こった。

「胡」とはやはり「異民族で野蛮人」という意味だ。それは後金の侵略であった。敗れた高麗はこの「野蛮人」を「兄」として立て、自分は「弟」として仕えるという形で、講和を結んだ。

そののち後金の太宗は国号を清と改め、自ら皇帝と称した。そして、高麗に対して服属を要求してきた。
高麗の仁祖王はこれを拒否した。
高麗にとって、あくまでも中華(中原の支配者)は明であって、清は「皇帝」を名乗るに値しない野蛮国であったからだ。
怒った清の太宗は、ただちに高麗へ侵略軍を差し向けた。
この清との戦いを、高麗は、丙子胡乱と呼んだ。あくまで明に対して操を立てたわけである。
だが、清軍は強力で、高麗軍はあっという間に打ち破られた。そして、太宗は「逆らえば皆殺しにする」と最後通牒を突き付けた。
皆殺しである。降伏するしかない。

仁祖王は涙をのんで降伏した。
降伏するということは、それまで清の風俗に改めるということでもある。
王は「胡服」(野蛮人の服)を着て、京城近郊に造られた受降壇(降伏の儀式をする台)におもむき、土下座以上の屈辱的な礼法である三跪九叩頭によって太宗皇帝を拝礼させられた。
しかも、清は「ご丁寧に」というか恩着せがましくというか、その記録を石碑として後世に残したのである。
それは「大清皇帝功徳碑」なるものである。


ちなみに、歴代の朝鮮国王は、この受降台を恒久化した施設「迎恩門」で、仁祖王と同じように、清の勅使に向かって三跪九叩頭を行わなければならなかった。今、そこには「独立門」という門が建っている。
明治以降、日本がアジアの強国となって清の影響力を弱めたため、朝鮮はようやく清から独立することができた。そこで迎恩問を叩き壊して独立門を建てたのである。ところが、今、韓国人の多くはそこにかつて迎恩問があったことを知らないという。それどころか、この「独立」を「清からの独立」ではなく「日本からの独立」と思い込んでいる人すらいるという。門の建てられた時代(1896年)を見ればそれは明らかなのだが、そう錯覚させる要素はある。一帯が独立公園となっていて、抗日運動を記念する施設がいくつかあるからだ。
また、この功徳碑のことを、韓国では恥辱碑と呼んでいるが、その恥辱の内容も崔氏の著書から紹介しておこう。
清との和平条約である。

一、朝鮮は清に対し、臣としての礼を尽くすこと。

一、朝鮮は明の元号を廃し、明との交通を禁じ、明から送られた勅命と冊印と、明から与えられた朝鮮王の印璽を清へ引き渡すこと。

一、王の長子と次男、および大臣の子女を人質として送ること。

一、清が明を征伐する時には、求められた期日までに、遅滞なく援軍を派遣すること。

一、内外(清)の諸臣と婚姻を結び、誼みを固くすること。

一、城郭の増築や、修理については、清に事前に許諾を受けること。

一、清に対して黄金100両、白銀1000両と二十余種の歳幣(毎年納める金と品物)として上納すること。

崔氏によれば、この物品のなかには「妓生と宦官」も入っていたという。

朝鮮は、莫大な金と「喜び組」を差し出すことによって、ようやく生存を許された、ということである。


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2012年08月23日

勘違いしている人が多いが、日本に生えている麻には麻薬成分は含まれていない





(毒と薬より)

インド大麻は、中央アジアを原産とするクワ科の一種だ。中央アジアからギリシア、北アフリカ、インドにかけて分布する草丈の低い一種を、とくにインド大麻と呼ぶ。強い精神作用を持つことが知られており、紀元前9世紀には、インドで薬用に供されている。

これに対して、北ヨーロッパや東アジアに分布する麻は草丈が高くなるもので、主に繊維を利用する。大麻とは、麻を薬用に使うときの呼び方だが、もともとの日本や中国の麻は幻覚作用を含んでいない。

インド大麻の花が咲き始めるころ、花の先端部を採取して刻んだものが「マリファナ」で、樹脂を板や棒状に固めたものを「ハシシュ」という。



暗殺集団の語源だったハシシュ

イラクに、大麻による陶酔感と攻撃性をうまく利用した暗殺者集団があった。歴史に名高い「山の老人(おやじ)」だ。

11世紀、マルコ・ポーロは東方見聞録で、イランの奥地・カスピ海に近い地方に「暗殺教団の谷」があり、「山の老人」が若者に暗殺者教育を施していたと記している。

老人は、12歳から20歳の腕のたつ若者をハシシュで眠らせ、壮大で華麗な宮殿につれてくる。目覚めると美女にかしずかれ、美酒などをふるまわれて夢のような日々を過ごすが、またハシシュで眠らされ、もとの場所に運ばれる。老人は「ふたたびもとの場所に戻りたければ、誰々を暗殺しろ。失敗してもお前たちは天国にいける」と命じ、若者たちは喜んで死地に赴けるという話だ。

この山の老人とは、ハッサン・イ・サバ―である。彼は初代山の老人だが、イスラム教の分派イスマイリ派のなかの支派ニザリ教団を率い、「スンニ派」を確立したといわれる。

そして、英語で暗殺者を「アサシネーション」(アサシン)というが、この語源がハシシュであるという説はよく知られている。

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