2012年06月22日

秀吉には右手の指が6本あった?


(井沢 元彦「逆説の日本史(11)戦国乱世編 朝鮮出兵と秀吉の謎」より)

秀吉には右手の指が6本あった。
これはまったく別の系統の二つの資料にのっていることであるから、ほぼ事実とみなしてかまわない。
差別意識を助長するという理由からか、この事実はあまり知られていないが、こうしたコンプレックスが秀吉という人間になにがしかの影響を与えたことは間違いがない。

本能寺の変後、秀吉は天下をとった。
そのことを現代の我々は知っているから、このことに不思議を感じないけれども、実はこれは大変に不思議なことだ。手品といってもいい。
というのも、本能寺の変のあと、信長の息子は何人も残っていたからだ。
天下をとるためには、信長の子供、また孫を排除しなければならない。
信長は義弟浅井の裏切りのあと、きわめて猜疑心の強い性格となっており、信長の死まで、秀吉は忠臣としてふるまっていた。
それなのに、その忠臣が信長の子孫を裏切り、また死においやるなどということがあれば、秀吉は不義の臣としてのそしりとまぬがれない。
秀吉は権謀術数と得意の人たらしによって、その難関をのりこえていく。

織田家の重臣たちによる清州会議の後、秀吉と柴田勝家は対照的な行動をとった。
秀吉が京近くへ本拠を移したのに対し、柴田勝家は越前国に戻ってしまった。
これは勝家の大失敗だった。
越前は雪が深く、冬になれば軍事行動をとることができない。
秀吉はこの隙に乗じて、岐阜の織田信孝を攻め、降伏させてしまった。
このときに織田信孝の母と娘を人質にとった。
つまり、このあいだまでの主君信長の妻と孫である。
しばらくして、信孝が挙兵したのだが、このとき、人質の二人をはりつけにした。

柴田勝家を滅ぼしたあと、いよいよ家康と小牧・長久手で対決することになるが、軍事的には敗北してしまう。
家康には軍事的に勝てないことを知った秀吉は、なんと自分の母を家康に人質として差し出すという奇想天外な策をろうし、家康を屈服させることに成功した。

・秀吉の外征

従来、日本の歴史学会では、秀吉の唐入りを誇大妄想的な侵略戦争として、断罪してきた。
しかし、当時の日本は世界的にもまれな軍事大国であり、明を侵略することはけっして絵空事ではなかった。
また、これを侵略戦争として断罪する歴史学者はいろいろと見落としていることがある。

たとえば、戦国時代が終わり、平和が訪れるとはどういうことなのかという視点である。
それは、大量の(そして極めて優秀な)軍人が失業するということである。
だから、世界の英雄たちは国内を統一したあと、外征にうってでたのだ。
「もう戦争はこりごりだ」という世論が醸成されなければ、戦争はおわらない。

また、世界史的な視野で考えれば、このとき、スペインは明への侵略を考えていた。
当時のキリスト教国というものは、他国を侵略することになんの罪悪感ももたない。
いや、神を知らぬ野蛮人どもにキリスト教というありがたい教えを広めてあげるのだから、感謝すべきとすら思っている。
こうしたスペインの意図を秀吉も知っていた。
明がスペインの支配下におかれるということは、日本の安全保障にとって、きわめて憂慮すべき事態となる。
結局、スペインの明攻撃は、無敵艦隊がイギリスに敗れたことによって、消滅するのだが、こうしたこともあわせて考えなければ、歴史を知ったことにはならない。

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2012年06月17日

平坂 読 ブリキ「僕は友達が少ない7巻」のあらすじ

小鳩の誕生会も終え、学園祭の出し物をどうするかについて悩む隣人部の面々。
小鳩が自分のクラスで映画をつくり、しかも、小鳩が主役だということを聞いたことで、隣人部も映画製作をすることになる。
脚本の執筆は夜空が担当。
執筆に苦しむ夜空は、参考にするために小鷹とともに映画を観に行くことに。
激しいラブシーンに互いに赤面したあとは、猫カフェに行く夜空と小鷹。
子供のころに、二人でかわいがっていた猫のことを思い出し、しんみりする二人。ここでデート終了。

惨憺たる結果におわるだろうと思われていた夜空のシナリオだが、これが意外と良い出来。
隣人部のメンバ―も口々に称賛の声をあげる。
しかし、キャストをどうするかでもめる。

「幼なじみだから」という理由で小鷹を脚本上ひいきする夜空に星奈がキレる。
なんだかんだあって、夜空は改心し、小鷹の脚本上でのひいきをやめる。

一方、星奈と小鷹が子供のころに、親どうしの勝手な取り決めで、婚約していたことが判明。
それは二人のあいだの秘密にしようと決めたのだが、その一瞬あとに、みんなの前で婚約の件がマリアによって暴露される。

夜空の脚本がマイナー映画の丸パクリであることが判明。
星奈の脚本が使われることになる。

なんとか映画撮影もすみ、学園祭当日をむかえる。
屋上で理科が、小鷹に「今のままでいいのか。星奈が小鷹のことをどう思っているかは知っているはずだ。
もう先に進むべきなんじゃないのか」と問う。
小鷹はその問いに結論を出さずに、立ち去っていく。



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2012年06月10日

羽生善治のみるみる強くなる将棋序盤の指し方入門


定石の丸暗記はおすすめしない。
なぜなら、単なる丸暗記では将棋の基礎力がつかないから。

なぜ、角道を開けるのか、金や銀があがることにはどういう意味があるのか。
そういう指し手の意図をひとつひとつ考えていくことは、遠回りのように思えて、実は序盤の力を向上するための一番の近道。

ヒモをつけることがとても大事。ヒモをつけることで、駒をただでとられることがなくなる。

小さい駒から攻めるのが将棋の基本。
大駒はすぐに敵陣に飛び込むようなことはせずに、背後でにらみをきかせるようにしよう。
小さな駒からこつこつと動かすことが大事。

角の頭は弱点の一つ。
金をあがるなどして、角の頭を守るようにしよう。


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2012年06月07日

溝口敦著「撃滅山口組VS一和会」

(溝口 敦著 『撃滅 山口組VS一和会』より)

(一和会と山口組の抗争時、警察が一和会の肩を持っていたことを証する事実として)
一和会幹部宅を警備する機動隊員も出入りする組員をボディチェックせず、チャカを自由に出入りさせていたともいう。

田岡の死後、山口組の分裂から一和会との抗争に至る経緯には、警察のかくされた意図があった。従来の警察力による山口組壊滅から、分裂を促し、自壊を早める方向への戦術転換である。


一和会の幹部は悔いをにじませて言う。
「田岡親分の長男満さんは、自分は堅気と、口を開けば言うけれど、やっていることは果たして堅気なのか。事件が好きで金が好き、争いごとに介入するのが好きときている。本業の甲陽運輸は赤字じゃないか。あそこの社員だって満さんには手を焼いている。余計なことばかりするって。
分裂したのは一に満さんが原因だ。彼は事件にはからむくせにしょっぴかれるのは大嫌いときている。警察におどされると一も二もない。分裂の少し前、警察は満さんとフミ子姐さんに、四代目を早く決めろ、でないと満さんを逮捕するとおどした。それで姐さんはあわてて竹中を決めたのだが、山本広会長代行を無視した無理筋の選任だったため、我々も一和会に頼らざるをえなかった」


細田は解散時に系列組員130人を抱えていたが、この程度が直系組長たちの平均的勢力である。したがって、直系若衆一人をやめさせれば、その子分たち130人を山口組からさいたとも考えられるが、これは机上の空論で子分たちは必ずしも親分と行をともにするわけではない。山口組の本部預かりにあったり、別の直系若衆の組に吸収されたり、さらには乾分のうち頭立つ者が後を受けて組を率い、山口組の直系若衆に取り立てられたりで、山口組の組員総数にはほとんど影響がないのが常である。


およそ暴力団ほど手ばなしで欲望を肯定し、その実現のためには手段を選ばぬものたちはいない。彼らの生き様は恣意であり、いずれ幼少期から学校や家庭の規範を嫌った者たちの末である。
だが、そういう彼らにあっても、ナンバー1に所属することは誇るに足る。所属すれば、組織の規範は免れようがないが、なお山口組を選ぶ。


山口組、一和会ともに、この頃には近い将来、抗争が不可避であることは覚悟していた。事情がどうであれ、一和会は組を割って、対抗する別組織を作った。そのまま放置はできない。しかも、もともと同根だから、末端にいけばいくほど、しのぎは相互に重なっている。ややこしい関係はいつか紛糾をよばぬほうが不思議だった。


稲川は三十七年に引退した住吉会顧問阿部重作の老後の資金づくりのため箱根で総長賭博を開帳。一晩で史上空前といわれた五億五千万円を動かし、テラ銭四千四百万を上げた。この罪に服して稲川は昭和四十四年から三年間、服役していた。このため住吉会は稲川に借りを作り、同会も稲川の出所に大量動員をかけることは眼に見えていた。
(中略)山本健一の異常ともいえる稲川歓迎は十ヶ月後にようやく謎をとくことになった。四十七年十月、稲川会が田岡邸を訪れ、後見人もたてない略式で両組織間の盃事を行った。すなわち若頭山本健一が稲川組理事長で横須賀一家組長の石井唯博と、若頭補佐益田芳夫が稲川組専務理事で箱屋一家組長の趙春樹と、それぞれ兄弟分の盃をかわしたのである。これで両組間の友誼関係は確立した。山本は病身の田岡にかわる山口組の実質リーダーだったし、益田は横浜にあった、もっとも頻繁に稲川会と接する山口組の前衛だったからである。


もっとも法治国家は彼ら自身の勝手な裁きを許すわけにはいかない。彼らの勝利はたとえば殺人罪という表社会の語に翻訳されて処罰の対象となる。そのため、暴力団の勝利はつねにマイナスを付加されるから、マイナスに耐えられる体力をもって初めて勝利が勝利になる性格をもつ。


事務所や居宅に向けた拳銃の発射は、発覚すれば、人を傷害すると同程度の刑を受ける。にもかかわらず、ガラス割りはほとんどの場合、室内にいる人間を傷つけず、効果を疑わせる襲撃法である。が、その安易さから今では暴力団間に愛用される攻撃法となった。







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井沢元彦著「仏教・神道・儒教集中講座」のまとめ


古代インド思想では、生きることは苦しみであると捉えられていた。

王子として生まれたシッダールタは 、生きることが苦しみであるのなら、人間はどうしたらその苦しみから逃れられるかということを真剣に考えた。

苦行を経て、彼が到達した考え。
それは苦しみはいろいろなものへの執着が生み出しているということであった。
シッダールタの死後、仏教はその思想の違いから分裂し、様々な宗派を生み出していく。

日本においても、多様は仏教が中国から伝播し、また発展していく。

織田信長が行った比叡山焼き討ちは、単に残虐行為ととらえるべきものではない。
それは、西洋に先んじて行われた政教分離であり、これ以降、宗教による暴力が日本から一掃された。
このことの意味を日本人はあまり気づいていないが、とても重要なことである。


神道はもともと、とても寛容な宗教である。
明治時代に、西洋のキリスト教的一神教要素をとりいれた国家神道はむしろ例外的な状況とみなすべき。


儒教とは中国の古代信仰である「先祖崇拝」をかたちにしたもの。
儒教は宗教ではなく、道徳であり、政治学であるという意見があるが、宗教としてみたほうがすっきりする。

儒教の欠点の一つは尚古主義(古いものがいちばんいい)におちいりやすいこと。
そして、経済を無視しがちなこと。




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2011年08月15日

人種差別をしているのは日本人ではない。韓国人のほうだ

高岡蒼甫がtwitterでフジテレビの韓流ゴリ押しを批判したことの余波はいまだに収まっていないらしい。

脳科学者・茂木健一郎、フジテレビ批判について「幼稚すぎる。韓流のどこが悪い」「8月8日、みんなフジテレビみろ!」
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1648505.html

海外に発信!?茂木健一郎『英語ツイート騒動』についてまとめた【フジテレビ問題】
http://matome.naver.jp/odai/2131287651645437901?keyword=%E8%8C%82%E6%9C%A8


茂木健一郎氏などは、これが韓国に対する人種差別問題であるととらえているようだ。

たしかに、アメリカドラマは一定の数が放映されている。
洋楽はあまり人気がないとはいっても、レディ・ガガなんかはよく売れている。
だが、アメリカ文化反対の声があがっているという話は聞かない。

それなのに、なぜ韓国文化だけに拒否反応を示すのか。
こうした表層的なところだけを見れば、たしかに、韓国に対する人種差別に見えなくもない。

だけど、僕は韓国文化にたいして拒否反応を示すのは、人種差別などではなく、極めて健全な精神によるものだと思う。

なぜ、ネット住民の多く(もちろん、僕もそうだけど)が韓国を嫌うのか?
それは、韓国が反日だからという、シンプルな理由によるものだ。

もちろん、韓国を嫌っている人間のなかには、単細胞なレイシストもいるだろう。
2ちゃんねるなんかで、頭の悪そうなレスしかできない連中だ。
それは否定しない。

だけど、その多くは、ネットなどを通じて、韓国の反日ぶりを知り、韓国を嫌いになった人間たちだと、僕は思う。

おそらく、2002年の日韓ワールドカップで、かの国の実情を知る機会が増えたことにより、韓国嫌いが増えた。
それ以前は、韓国という国は、特になんの感情を想起させることはなかったはずだ。

韓国がなぜ反日なのかと言えば、それは反日教育を行っているからだ。
そうした教育を受けた韓国人にとって、日本というのは未来永劫にわたって、韓国に謝罪しつづけなければいけない存在らしい。

韓国併合が悪であるかどうかというのは、判断に難しい問題ではあるけれど、とりあえず、ここでは悪であり、そして罪であるとしておこう。

しかし、その罪をある民族(つまり、日本人)が永遠に背負い続けなければならない、などいう認識はあきらかに間違っている。

というのも、それこそが人種差別の最たるものじゃないか。

たとえば、2000年前に、ユダヤ人はイエス・キリストを殺した。
もしも、ユダヤ民族がその罪を背負い続けなければならないのだとしたら、ユダヤ人はキリスト教徒に対して、常に謝罪しつづけなければならないのか?

一つの民族が、過去に犯した罪は永遠に消えることはない。
そして、その民族の一員として生まれた以上、その罪は背中にべったりとのりのようにつき、それを忘れたり、忘れたように振る舞うことは、許されない。

韓国人、そして日本の左翼はこのように考えているらしいが、それと同じことをユダヤ人にも言えるのか?
言ってみるがいい。
すぐさま、差別主義者のレッテルをはられることだろう。

要するに、韓国の行っている反日教育というものは、ナチスの反ユダヤ教育と同根のものである。

人種差別を行っているのは韓国人のほうではないのか?だから、日本人は韓国を嫌うのだろう。

もしも、将来、韓国と日本のあいだで戦争が起こったとき、韓国人は、なんのためらいもなく、日本人を大量抹殺することができるだろう。
良心の呵責もなく、いや、むしろ充実した正義感とともに、日本人を虐殺してしまうかもしれない。
別に僕は荒唐無稽なことを言っているわけじゃない。

たとえば、韓国では「ムクゲの花が咲きました」という小説がベストセラーになり映画化もされた。
この小説のなかでは、日本に核兵器を打ち込むという描写がある。
いくら、フィクションとはいえ、核兵器を使用して、そのことにカタルシスを感じるだなんて、まともな感性だとは思えない。

こんなふうに考えたとき、茂木健一郎氏の感性というものは、はなはだ浅はかであることがうきぼりになる。

彼は自国の人種差別的行為には敏感だが、他国の人種差別行為には見むきもしない。
ただ、自分が良心を持っているのだということを告白したいだけなのだ。
それは、まったくナイーブな感性だ。

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2011年06月11日

『僕は友達が少ない』の詐欺行為がひどい





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『僕は友達が少ない』というのは、アニメ化も決まっている人気ライトノベルである。

ためしに1巻を買ってみたら、思いのほか面白く、ついつい、最新刊である6巻まで買ってしまった。

このラノベの面白さっていうのは、ギャグ描写にある。
2ちゃんねるなどのネット文化に慣れ親しんだ人でないと、ちょっとギャグに乗りづらいかと思うが、僕はネット文化に慣れ親しんだ人に当たるので、かなり笑えた。

それから、妹である小鳩のかわいさがかなりのもの。人気ヒロインである星奈もなかなかかわいい。

つまり、キャラ萌えと、ギャグ描写で、このラノベの9割くらいはできあがっている。

ってことは、ストーリーには、あまり力が入っていないってことじゃないかと思われる方がいらっしゃるかもしれないが、そのとおり。
ストーリーはうんこみたいなもんだ。

ストーリーの主軸としては、主人公と夜空、星奈の二人のヒロインのあいだで繰り広げられる三角関係ってことになるだろうが、主人公がラノベ主人公的に鈍感なので、ぜんぜん話が展開しない。

しかし、うんこはうんこで別にいい。
この小説は長所は別のところにあるのだ。
決して、うんこ部分を売り物にしているわけではないのだから……、と言い切れないのが、このライトノベルの悩ましいところである。

週刊マンガによくあることだけど、その回の最後で、インパクトのある展開を持ってきて、読者の興味を来週まで持続させるってのがある。
たとえば、バクマンでは、その手法を使い過ぎたために、ストーリーやキャラ描写が徹底的に破壊された。
あの編集長はなんなんだ?
あんなに頭の悪い人間に、ジャンプのトップが務まるのだろうか?

この小説でも、その手法が使われている。
その巻ではストーリーはほとんど進展しないのだが、最後の最後で、ストーリーが進展しそうなエピソードを持ってきて、次巻への興味を持たせるのである。
これに、まんまと引っかかった結果、僕は6巻まで、買ってしまった。
あの編集長よりも頭の悪い行為である。相当に頭が悪い。

この小説の極悪なところは、その「ストーリーが進展しそう」な予感が、実際に次巻を読むと、まったく裏切られるってところである。

大きな波がきそうな予感だけはしっかりと示されるのに、次巻の冒頭で、あっさりとその波はスルーされ、また、だらだらとした日常にもどって行く。

たとえば、4巻の最後の展開はこんな感じだ。

主人公が父親と電話で話している。
父親は、(ヒロインである)星奈と主人公が結婚することになっていると、星奈の父親から聞いたと話す。
ここで、4巻は終了。

さて、星奈と結婚ってどういうことだ?と次巻へのストーリーへの期待はマックスになっているだろう。
あなたはマックスではないかもしれないけれど、僕はマックスだ。

それでは、5巻の冒頭ではどうなっているか?

主人公が父親と電話で話しているシーンの続き。
父:星奈の父親は電話してきたときに酔っていたから、わけのわからないことを話したのかもなあ。
主人公:きっと、そうだよ。

終わり。

え?!
酔ってたんだろうなあ、で終わり?そんなんだったら、なんでも言えるじゃねえか。
あなたは憤りを覚えるだろう。仮にあなたは憤らないにしろ、僕は憤った。

ついでなんで、5巻の最後にも触れておこう。

ヒロインの一人である夜空が実は主人公の幼なじみであることが、他の部員にばれた。
これは今まで、主人公と夜空だけの秘密だったのである。
さて、夜空の恋のライバルである星奈はどうするのだろうか?

次は6巻の展開。

星奈は、主人公と夜空が幼なじみであったことを知って驚くが、よくよく考えてみたら、そんなことはどうでもいいことに気づき、一件落着。

まあ、たしかにどうでもいいっていえば、どうでもいいわな。
だけど、そんなどうでもいいことを、5巻のラストで示して、興味を引くなよ。
それから、夜空と実は幼なじみっていう要素は、今までの展開でまったく生きてないってことも指摘しておこう。


ついでなんで、6巻の最後にも触れておこう。

ケイトというキャラ(どうでもいいようなモブキャラ)が主人公と恋仲になってもいいかなあと発言。
しかし、ケイトは「(あなたには)星奈さんがいるからしょうがないね」と意味深なことを言い残し、去っていく。
最後の文章は、こう締めくくられている。

『ケイトが最後に残した言葉の、その後半部分―――「星奈さんがいるからしょうがないね」の意味を俺が知るのは、それから間もなくのことだった。』

それ4巻のラストで示されてたよね?
2巻も使って、ぜんぜん音沙汰なしで、作者も書いたのを忘れてたのかと思ってたのに、いまさら持ってくるのかよ、それ。

この作者に言いたいことはただ一つ。
とっとと、決着つけろ。
そもそも、決着をつける気がないのなら、決着がつきそうな文章で次巻まで引っ張るのをやめろってことだ。

6巻のアマゾンレビューでも、批判的な意見が少し出てきている。

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2011年05月01日

フラクタルに比べたら、まだAngel Beatsのほうがマシだったなって話

表題のとおりなんだけど、フラクタルに比べたら、まだAngel Beatsのほうがはるかにマシだった。

Angel Beatsを見ているときは、稚拙なストーリーテリングや、醜悪としかいいようがない宗教観に、毎週、イライラしていたものだけれど、今、考えてみると、Angel Beatsを見てホントによかったと思っている。

というのも、Angel Beatsを視聴した体験というものは、僕にとって得難いものだったからだ。
不快なアニメであることはたしかだ。

だけど、たとえ、それが不快なものであったとしても、感情を強く揺さぶられたことにかわりはない。

たしかに、フラクタルのほうが、Angel Beatsよりも色々な面でよくできてはいる。
もちろん、比較すればマシだというだけで決して優秀だということじゃないけれど。
そして、ジブリやナディアのパクリで出来ているのだから、部分的に見ればまともに見えるってことでもあるが。

だけど、観終わってみて、フラクタルというアニメは僕の感情を揺さぶるところは何もなかった。
ヤマカンが嫌いだとか、東が嫌いだとか、その程度の感情すら刺激しなかったのである。

ただ、時間の無駄だったなぁと嘆息しただけだ。

麻枝准という人を僕はあまり評価してはいないのだけれど、それでもヤマカンに比べれば、はるかに、マシなクリエーターであることを今回の件で実感した。
タグ:フラクタル
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2011年04月30日

ヤマカンは萌えアニメだけやってればいいのに

ヤマカン監督のフラクタルの放映が終了してだいぶたつ。
ネット上の評判、そしてDVDの売上げを見るかぎり、このアニメが失敗に終わったということは、誰の目にもあきらかなようだ。

死体にむちを打つようなものかもしれないけれど、ここで僕も少しだけこのアニメについて書いておこうと思う。

フラクタルが失敗した理由というものは、いくつもあげられるのだろうけど、僕はたった一つのことを指摘しておきたい。

フラクタル失敗の最も大きな要因は、SF冒険活劇というジャンルを選んだことじゃないかというものだ。

このアニメのなかで主人公(なんという名前だったか忘れてしまった)が感情を揺さぶられるシーンを思い返してみよう。
視聴者の記憶に残っているのは、主人公が女の子の裸を見てどぎまぎしているシーンとか、そんなのばっかじゃないかと思う。

つまり、女の子のかわいさっていうところでしか、主人公の感情が動いていない。少なくとも、僕の記憶にはそれしか残っていない。

本来、SF冒険活劇をするのであれば、もっと他に、主人公の感情の揺らぎを表現しなければいけないはずだ。
たとえば、このアニメには対立する二つの組織が出てくるのだけれど、その二つの思想で主人公が思い悩むところがあっただろうか?
あったかもしれないが、まったく覚えてない。

フラクタルのなかで、ヤマカンが表現したいことっていったいなんだったのだろう?
ただ、かわいい女の子が描きたいということだけしか伝わってきてない。

かわいい女の子を描きたい。
それ自体は別に非難されるべきことじゃない。そりゃ、そんなものは大した表現ではないかもしれないだろうけど、くだらないと切って捨てるものじゃないだろう。

しかし、フラクタルはSF冒険活劇という、広いジャンルを選んでしまったことによって、『かわいい女の子を描きたい』という創作欲が、しょぼく見えてしまうという効果を持ってしまっている。
あ、その程度のものしか表現したいものがないんだ、と見ている側に見透かされてしまっているのだ。

魔法少女モノという、本来だったら、お約束ごとの制約だらけのジャンルを意図的に反転させることで、ストーリーを転がしていったまどかマギカの頭の良さと比較すると、一層、そのしょぼさが際立つ。

ヤマカンという人は、結局、かわいい女の子を演出することにしか才能がないのだ。
だったら、萌えアニメを作ってればいいじゃないか。
なにも、広い海にわざわざ泳ぎだして、自分の底の浅さを披露することもあるまい。

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2010年12月05日

俺妹がおもしろい!だけど、思わず舌打ちしたくなる。だって桐乃はオナニーしないだろうが

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今期アニメナンバーワンとも言われている『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』。

原作小説については、アニメ放映前に一巻だけ読んだ。
とてもおもしろかった。

容姿端麗、学業優秀、陸上部でも優秀な成績を収め、あげくはモデル業までこなす、という妹が実はオタク趣味をもっていて、その秘密に悩んでいる。
という筋書きだけとれば、まんま、乃木坂春香の秘密である。
いや、もうほとんどパクリと言ってもいいくらい、構造が似ている。

だけど、乃木坂よりも、俺妹のほうがはるかに面白いのである。
その面白さがなんなのかといえば、ディテールによるものだ。

乃木坂は、そもそもあまりオタク的ディテールがそうとうに甘い部分があって、この作者はオタクじゃないんじゃないかという思いが禁じ得なかった。

俺妹はそこらへんのディテール、たとえば、オタク的言葉遣いだとか、キャラ設定だとかが、秀逸だ。
一巻発売当時は、かーずSPなんかのニュースサイトの名前が出ていることでも話題になったけれど、そうした、ディテール、情報の詰め込みは乃木坂とは比べ物にならない。
だから、あなたがオタク的文化圏にいるのであれば、読んでいるとくすくす笑いが思わずこみあげるだろう。

シチュエーションコメディとしては、文句なく、よくできた小説であると断言できる。
しかし、小説を読んだときにどうしても感じずにはいられなかった疑問があって、それが、結局、続刊にまで手が伸びなかった理由である。

そして、アニメが放映され、それを視聴していると、やはり、小説を読んでいたときの疑問が再燃してしまったので、ここにそれを記しておく。

俺妹のシチュエーションコメディとしての面白さというのは、スクールカーストで最上位に位置しているはずの妹(桐乃)が、実はエロゲ、アニメ好きという『恥づべき』趣味を持っているというところにある。
つまり、そのギャップによるドタバタで笑いを生み出すという構造になっている。

それはいいのである。
しかし、主人公である兄が『オタクを差別するのはよくない』みたいな説教をするのである。
それが、まったく心に響かないし、見ていて薄ら寒いような印象すらうける。

たとえば、桐乃が親友であるあやせという女の子に、自分のエロ同人誌を見られてしまい、絶交されるというシーンがある。
あやせは『オタク趣味は性犯罪に繋がると、マスコミで言われていたから』という理由で、桐乃の趣味を糾弾する。
ちなみに、ここで出てくるエロ同人誌は、プリキュアのような幼児向けアニメのそれらしい。

それに対して、兄はそのマスコミ報道が根拠のないものであることを示し、あやせに桐乃のオタク趣味を認めさせるというシークエンスがあるんだけど、この薄ら寒さといったらない。

というのも、ここであやせによって問題とされているものは、作中でなにも問題ではないからだ。

そもそも、エロ同人誌を嬉々として見ている桐乃は女じゃないか。
ということは、桐乃はプリキュアのエロ同人誌でオナニーはしないのである(たぶん)。

しかし、現実のオタク、たとえば、プリキュアのエロ同人誌でオナニーする男というのは確実に存在している。そして世間が気持ち悪がっているのは、そういう男たちであるはずだ。
もちろん、そうしたオタク男たちがすぐさま性犯罪に走るというわけではない。そりゃ、少数のオタクは性犯罪に走るだろうが、それがオタク趣味に起因するものなのかどうかが疑問の余地があるところだってのは、さんざん議論されてきたことだから、ここでは置いておく。

しかし、世間がプリキュアの同人誌でオナニーする男達を気味悪がるのは、そりゃ当然のことだろう。
ロリコン趣味を毛嫌いするのも、そりゃしかたのないことだ。
それが法的に規制すべきものであるとは思わないけれど、気味悪いと思うのをやめろとは言えないだろう。
オタクたちが、そうした世間との折り合いをどうやって取るべきなのかっていう問題はたしかにある。

しかし、俺妹で提出される問題は、こうした問題とはなんらつながりがない。
桐乃は女だから。

シチュエーションコメディを作劇するために、桐乃を女で完璧超人にしてしまったことの弊害ってのは、説教シーンでたえがたい矛盾としてあらわになってしまう。

そもそも、オタクが差別されるのは、ただ単にアニメ好き、エロゲ好きっていうことに起因するのではなく、スクールカーストで最下位に位置している連中が、アニメ、エロゲに夢中になっているという、二つの要素が混合されたところからくるものだろう。

そういう意味でも、桐乃の問題というものは、オタクたちの問題とは関係ない。

俺妹が純粋にシチュエーションコメディとして作られていたら、本当に好きな作品になっていただろうなあとつくづく残念だ。
もっとも、ストーリーテリングとして、終盤に盛り上がりがほしいっていう意味で説教シーンをいれているんだろうなってことはわかるんだけどね。



posted by YenGood at 15:32 | Comment(0) | 感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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